受験勉強は気合いが必要?

query_builder 2015/02/18
受験全般
気合いを入れる

勉強でもスポーツでも気合いを入れていくというのは、良いこと、大切なことのような気がします。

今回はこの「気合い」をテーマに書いていきたいと思います。



塾講師が生徒に気合いを入れる場面は限られます。



  1. 貴重な授業時間を潰して
  2. 保護者に頼まれるか、目に余るので、授業後などに特別に別室に呼んで
  3. ○○会などのイベント


1の授業時間を潰すというのは、なぜか好む講師が多いです。

気合いを注入されたあとの生徒の顔が素敵なのでしょう。


ここで私の立場をハッキリさせておきたいのですが、気合い注入は不要で、効果無しだと考えています。

もう1回書きますが、「注入」が不要です。

上記の2を担当の講師に申し出た方は、その1ヶ月後で良いのですが、継続して気合いが入った状態だったでしょうか?

これにYESと答えられる方は、ほとんどいないと思っています。


前職では、講習会前に激励会などを催して、先輩達を呼んだりして、「がんばれば力がつくので、夏期講習がんばって下さい」などと言わせていました。

目的は気合いを入れることです。

その会のあとに自習時間があるのですが、その自習のときの集中力は恐ろしいものでした。

一種の洗脳というものだと思います。


しかし、翌日の自習のときには、もうその熱は冷めていたようです。

3日もたてば、何もなかったかのようでした。


毎年同じ光景を見てきているのに、なんでそんなイベントが続くのだろうと不思議でした。

もっと良い会にすればもっと持続すると考えているのか、 あるいは効果は考えず恒例行事だからという理由でやっているのか…


前職ではなく、5日ほど夏期合宿に行く塾の生徒さんを合宿後に見たことがあります。

こちらは5日も行くので、相当気合いが注入されます。



さすがに熱が冷めるのに時間がかかりますが、それでも1週間もしないうちに完全に冷めます。

10万円かけて、非日常で、気合いの入る良い話が多く、シュプレヒコールなどで盛り上げているのにです。


どうしてなのでしょう…

どうすれば気合いが持続するのでしょう…

理由は簡単なことで、気合いが入り、さあ、がんばりましょうとまでは行きますが、何をがんばればいいのか、鮮明になっていないからです。


お子様の学習テーマは、人それぞれ異なります。

得意科目苦手科目も違いますし、苦手と言ってもいろいろな苦手のタイプがあります。

タイムリーな課題が分かっていれば良いのですが、それが分かっていないのなら気合いが入ってもすぐに冷めます。


逆に、気合い注入無しで、やるべき課題が、レベルといい、単元といいピッタリで、とてもやりやすい場合はどうでしょう。



これさえがんばれば学力が上がる!!

そう思えば、自然とお子様自身で気合いを入れ、がんばるのではないでしょうか。


お子様自身が自ら気合いを入れていくことを否定しているわけではありません。

受験は競争なので、気合い、根性なども必要です。


つまり、第三者に「気合い注入!!」などと言われても効果がなく、良い勉強スタイルを身につけて、初めて、自発的に気合いを入れてがんばれると思います。

塾や塾講師、私も含めて、気合いが重要というのを知っています。

気合いが入る講話をすると、お子様の目が輝くのも知っています。


そのために、上記の1のように授業時間にそういう話をしたり、3のようにイベントを行ったりするのです。

そんなことをするより、生徒ひとりひとりに最適な課題を考え、「ぼく(わたし)のために、先生は特別に勉強プランを練ってくれた」「対策プリントを用意してくれた」と感じてもらった方が、効果が持続するはずです。


例えば、サラリーマンでも、 自ら、こうすれば独立できるかなとか、出世できるかなと感じたことは、出し抜きたい一心でがんばると思います。


しかし、

年収1000万あるといい暮らしができるよ~

良いマンション買えるよ~

老後も安泰だよ~

結婚しても悠々やっていけるよ~

そのためにはガンバレ~


それを聞いたときは、よし!金をしっかり稼ぐぞ! となるかもしれませんが、行動は何も変わりません。

まわりが与えるのは「気合い」ではなく「方法論」のべきです。

目的だって不要だと思います。

「御三家入りたいならガンバレ」 分かりきっていることを聞きたくないかもしれません。


そして、お子様自身が方法論が分かって実行していけば、自ら気持ちを高めていくものです。 「そんな気合い入れて授業受けたら、こっちが恥ずかしくなるよ~」とつい思ってしまうことも多々ありました。


激励会の後のことではありません。


軌道に乗っていないときは「方法論」が必要なのですが、 そこを間違えて「気合い」にすると、同じことの堂々巡りな気がしてなりません。