通塾がつらいご家庭へ

query_builder 2015/06/16
受験全般
キャッチャー

半年ほど前から、ひょんなことからアマチュア歌手のピアノ弾き語りライブを数回見ています。

プロになってもやっていけるんじゃない?と思うくらいレベルが高いのですが、歌手業界も厳しいようです。

そういう歌手の何人かが「がんばらないで」というテーマで歌っています。

自分と重ねている自然なテーマだと思うのですが、そこは私はしっくりきません。



何年か前に流行りましたが、がんばっている人に「(これ以上)がんばって」というのは失礼というものです。

それが失礼だから、その反対の言葉の「がんばらないで」になってしまうのでしょうか。



そもそも「がんばる」と「がんばれ」と「がんばりなさい」はまったくちがうと思います。



「がんばる」という行動は存在しないと思います。

と言いますか、そういう気持ちになってはいけないと思います。



  1. 楽しいからやっている
  2. 楽しさは抜きにして、やらなければならないからやっている


1や2が「がんばる」という言葉になっていると思います。

1はやっている当人からしたら、がんばっているなんて感覚はあるのでしょうか?

2は、大変という意識はいいですが、必要だからやっているわけです。


例えば、野球のキャッチャーは他の野手のポジションに対して大変ですが、その存在がないとゲームが成り立ちません。

がんばるというより、自分が役割を担っているという感覚で、大変だけど、そのポジションを務めているのです。

がんばっているというのはしっくりきません。



「がんばれ」は「応援しているよ」という意味で使っている気がします。

マラソンや駅伝の側道に立つ人が旗を振って「ガンバレ~」と言っているのは単純に応援しているだけで、せいぜい、抜いて欲しいとか、抜かれないで欲しいという気持ちが含まれていたとしても、それも応援の範疇でしょう。

「がんばりなさい」は命令です。

具体的ではなく抽象的な指示です。



中学受験からは離れた話が続きましたが、ここから中学受験の内容に入っていきます。

保護者様がお子様に「がんばれ」「がんばりなさい」という場面はよくあることでしょう。

「応援している」「これをやりなさい」とまったくちがうことなのに、がんばるという表現を使うと「がんば」までは同じ言葉になるので、明確にはなりにくいと思います。

異なる意味なのに同じように聞こえてしまうなら、いっそのこと「がんばれ」「がんばりなさい」「がんばらなくていい」という言葉は使わない方が良いような気がします。


「応援している」「期待している」「○○をやりなさい」「勉強はここまで」「点数は度外視」等の言葉に置き換えられます。

通塾しているお子様に対して、がんばっていると感じると思います。

公立小学生がダラダラしている時間に固いいすにすわって何時間も授業を受けているわけですから。


これを、お子様視点で考えてみます。

上記と同じことになりますが、


楽しいから授業を受けている

楽しくないけど、中学受験では通塾が必要だから授業を受けている


となります。

がんばっているわけではありません。

前者は良いです。

分かる喜び、知る喜び、競争に勝つ喜びなどでしょう。


問題は後者です。

前者の要素が50%以上あり、ときどき後者の要素が顔をのぞかせるなら良いですが、後者が強くなると気の毒に思います。

そもそも中学受験では通塾が必要なのでしょうか?



集団塾講師は、集団塾は必要と言います。

個別塾講師は、集団塾+個別塾か、潤沢な予算があれば、個別塾Onlyが良いと言います。

家庭教師は、集団塾+家庭教師か、潤沢な予算があれば、家庭教師Onlyが良いと言います。

通信教育は、集団塾などの併用でも良いし、通信塾Onlyでも良いと言います。

集団塾で大変な思いをして難関中合格を勝ち取った保護者は、通塾しないで難関中合格などありえないと言います。


簡単に言えば、立場によって都合の良いことを言っているに過ぎません。

保護者の話にしても、通塾しないで(楽に)難関中に入るなんて甘い(許せない)という感情も入っていそうです。


誤解のないように改めて書きますが、 中学受験勉強に集団塾へ通塾することは効果が大きいです。

でも必須ではありません。

子どもによっては集団塾通塾は効果がほとんどない場合もあります。

そして、通塾しなくても自宅学習でも中学受験は普通にできて、難関中でも受かります。



現在、楽しむ要素が少なく通塾は辛いけど、通塾しなければ中学受験できないからという後ろ向きの意識で取り組んでいる方は、自宅学習に切り替えるという作戦はいかがでしょうか?

前述の通り、中学受験を終えたご家庭はそんなのは無理というでしょう。

集団塾の講師も無理というでしょう。

でも正しい事実ではありません。



成績が上がらなかったら手を打つのはあたりまえです。

たびたび、美容などで、たし算とかひき算という言葉が使われますが、勉強にも当てはまります。


手を打つのに、普通はたし算をイメージします。

個別も併用するとか、家庭教師をつけるとか、問題集を新たにやるとかなどです。

それは間違いではありませんが、それでも改善しなければ、ひき算の登場です。

1つ1つ削って、シンプルでやりやすくなった分、ていねいに学習することです。



話が少し変わりますが、私は、自分自身が数値での競争が大好きな人間だと思っていました。

しかし、あれも競争、これも競争というように、競争が次から次へと出てくると、食べ放題で限界以上食べているように吐き気がしてきます。


競争の好き嫌いは置いておいても、誰でも競争できる限界量というものがあるのではないでしょうか。

進学実績を上げている集団塾は競争原理を取り入れがちです。

心の教育をうたっている四谷大塚でも、毎週YTをやって月一で組分をやってSCBAを分けています。

レベルに応じて4つテストを用意しているという見方もできますが、SCBAの中で「組」まで決めているのはどう考えても競争原理でしょう。


例えば早稲アカ生は、YTで競争して、組分で競争して、NNで競争して、さらに内部テストまであってそこで競争したら、競争の洪水のような気がします。

そこまで競争が大好きなお子様がいるのでしょうか。

惰性でテストを受けてなんとなく順位や偏差値を見る程度になっていたらテストの効果は半減です。

準備できるものは最大限準備してテストに挑む 準備できないものは、テスト本番で全力を注げるように前日から心の準備をする このくらいの意識がないと、楽しんでいるとは言えません。



楽しんでいるとは言えず惰性で受けているならまだいいです。

本当はよくありませんが。



できなければ「クラス落ち」「コース落ち」「後ろの席」などで、塾の競争の洪水に参ってしまっている人も多いのではないでしょうか。

本来、勉強とは知らないことを知るなど楽しいはずですが、塾のシステムに楽しさが完全に沈められてしまっていたら悲しいことです。



筑駒、開成、麻布、駒東、栄光、聖光、桜蔭、早実、渋幕あたりは難しい問題が多く、十分な演習量がなければ太刀打ちできませんが、それ以外の学校は、少し難しい問題が出題されると合格者平均点を大きく下げます。

つまり、通塾していても、難しい問題ができるようになっていないことになります。


最近、SOの問題を見る機会がありますが、正答率と問題を照らし合わせて愕然としています。

ちょっと骨のある問題は軒並み20%以下です。

サピ偏差値60くらいの学校を目指すならば5~20%の問題をしっかり取り組んで欲しいと思うくらいです。


たまにインターエデュで、偏差値60は上位16%にいないと受からないという間違った書きこみを見ますが、上位16%にいると80%の確率で受かるという意味です。

その位置にいればまずまず安心というわけで、いないとダメというように捉えるのはおかしいです。


カリキュラムやシステムが悪いのか、既習単元の標準問題を、多くの塾生ができるようになっていないのが、いまの中学受験界の現状です。

易しい単元の基本問題ならできていますが、それならばZ会などの通信教育だけでも十分なはずです。

応用問題に関しても、塾で解説を聴くより、自宅学習でじっくり進めていった方が力がつくのではないでしょうか。

冷静に考えると、半数くらいの子どもは、塾講師や保護者の意見とは逆に、塾に行くより自宅学習の方が効果があるのでは?と思ってしまいます。

中学受験をするには、集団塾に行くのも、自宅で勉強するのも有効な作戦ですが、あまりにも自宅学習が否定されるのはなぜでしょう?

塾産業を支えるためとしか思えません。